んがどういう因縁い

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んがどういう因縁い

じの怒いかりが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖こわいとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒ゆいしょのあるものだったそうだが、瓦解がかいのときに零落れいらくして、つい奉公ほうこうまでするようになったのだと聞いている。だから婆ばあさんである。この婆さんがどういう因縁いんえんか、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想あいそをつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾つまはじきをする――このおれを無暗に珍重ちんちょうしてくれた。おれは到底とうてい人に好かれる性たちでないとあきらめていたから、他人から木の端はしのように取り扱あつかわれるのは何とも思わない、かえってこの清の意粉醬ようにちやほやしてくれるのを不審ふしんに考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真まっ直すぐでよいご気性だ」と賞ほめる事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好いい気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌きらいだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺ながめている。自分の力でおれを製造して誇ほこってるように見える。少々気味がわるかった。
 母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃よせばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣こづかいで金鍔きんつばや紅梅焼こうばいやきを買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉そばこを仕入れておいて、いつの間にか寝ねている枕元まくらもとへ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩なべやきうも居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子かしや色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣やらないのかと清に聞く事がある。すると清は澄すましたものでお兄様あにいさまはお父様とうさまが買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固がんこだけれども、そんな依怙贔負えこひいきはせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺おぼれていたに違ちがいない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢あっては叶かなわない。自分の好きなも のは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見りょうけんもなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿ばかばかしい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車てぐるまへ乗って、立派な玄関げんかんのある家をこしらえるに相違そういないと云った。
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